2014年11月11日火曜日

【参考書籍】前置詞と冠詞

英語を学ぶ日本人がもっとも苦手とするのが、「前置詞」と「冠詞」です。特許翻訳者も、これらを使い間違えるだけで、特許権利化後の権利範囲が大きく異なって、場合によっては、使い物にならない権利になってしまいます。そのため、これらを克服することが、特許翻訳者には求められます。以下は、講師の方が紹介してくださった書籍です。

■前置詞

<ネイティブの感覚で前置詞が使える>
持ち歩くには不便なほど、非常に分厚い本です。この本は、様々な例文とイラストで前置詞のイメージを頭の中に植えつけるようにされています。ネイティブの子供は、さまざまな場面に出くわし、その都度、「前置詞」のイメージを固めていくそうです。


■冠詞
冠詞については、講師の方がおすすめした本を紹介しておきます。この本は予備校講師が執筆したもので、ネイティブスピーカーがどのようなイメージを持って冠詞を使用しているかを非常に分かりやすく説明しています。ボリュームはそれほどありませんが、どの章も「目からウロコが落ちる」ような内容で、感嘆しました。オススメです。
・aとtheの底力 -- 冠詞で見えるネイティブスピーカーの世界

・数量英語の活用文例集 


特許翻訳におけるきわめて単純な形式的注意事項



フリーランスとして、翻訳文をクライアントに納品する際、「形式的ミス」があると、次の依頼が来ないことがあるようです。クライアントは、非常に忙しい、外国出願の弁理士であるので、こうした形式的ミスを彼らに直させるのは、確かに問題です。当たり前のことを確実にできる翻訳者が好まれるようです。




1.英和の場合

Wordの自動字下げは、使用してはいけない。

Tabキーも使用してはいけない。

段落改行のあとは字下げは全角1字。

特殊文字の半角は絶対に使用しないこと(電子出願時エラーとなってしまうため)。

インデントやハンギングインデントは、使用してはいけない。

明朝10.5ポイント、一行40文字、1ページ50行(現行の電子出願の形式)




2.和英の場合

全角文字、全角スペースは使用してはいけない(全角のα、β、℃は使用してはいけない)。

冒頭には、Tabキーを使用して5文字分のスペースを入れること(半角スペースで5文字分入れてはいけない)。

Times New Roman12ポイントで両端揃えで使用すること。

行間は、明細書では1.5、レターでは1とすること。

文章の終わりは、半角2字分空けること。

【参考書籍】日本の特許制度

私は学生時代から弁理士資格取得のための勉強をしていましたが、新卒で勤務した特許事務所での仕事が忙しくなったため、勉強は一旦中断してしまいました。ただ、その後も、実務で必要な知識を得るため、様々な本を読んできました。その中で、最も分かりやすかった「標準 特許法 高林龍 著」が、翻訳学校の講師にも推薦されていました。すでに第4版が出ているみたいですが、講師いわく、「古い版でもかまわないので、目を通しておいた方がよい」とのこと。





それから、「産業財産権標準テキスト 特許編 発明協会」も推薦されていました。
特許の素人でも分かりやすくコンパクトに特許法を解説しているため、オススメだそうです。




翻訳学校オリエンテーション

特許翻訳の学校の第1回目の授業に出席しました。
受講生は、女性2名、男性4名の計6名。
定員が15名であることを考えると、今期は非常に少ないようです。
そのため、講師の方にいろいろ質問できそうなので、良いかもしれません。

1.オリエンテーション
特許翻訳とは何か?についての説明。

正しい翻訳があるわけではないが、間違った翻訳はたくさんある。
大きなミスをしないで、80点をコンスタントにとり続ける、安定した特許翻訳者が求められているようです。

2.特許法について
発明とは、「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの」をいう。

この「自然法則」という文言を入れたことで、プログラムは発明に入るのかという議論が延々とされたようです。

講師の考えでは、発明を定義しすぎると、将来、創作させうる未知の発明を包含できなくなるので、よくないのではないかとのこと。

発明のカテゴリー:
物の発明、方法の発明、物を生産する方法の発明の3つに分類される。

フリーの特許翻訳者への道

 理系の大学を卒業後、特許業界に入り、大企業のメーカーの知的財産部等を経験してきました。

 より自由な働き方を求めて、フリーランスの特許翻訳者になるべく、特許翻訳の学校に通うことを決意しました。

 特許行政年次報告書2013年版によれば、日本国内の特許出願件数は、2005年の427078件をビークに、年々減少傾向にあり、2012年には、342796件まで落ち込みました。
 しかしながら、市場のグローバル化に伴い、PCT国際出願の件数は、2005年24290件であったのに対し、2012年には42787件と大幅に上昇しています。

 つまり、特許業界自体も、国内市場の衰退とともに、縮小傾向にあり、今後、企業のグローバル化に合わせて、英語力が必須になってきたことが分かります。

 このブログを通じて、一流の特許翻訳者になるための道のりを記述していきたいと思います。

2012年1月26日木曜日

[書評]HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド




現代人は、前の世代より明らかに物質的には豊かになっているのに、心理的には貧しくなっているという。
本書は、ハーバード大学で人気No.1の講義をまとめたもので、自分自身の内側に目を向ける機会を提供するとともに、我々がより幸せに生きるのを手助けする。

誰かが「良書とは、読む前と読んだ後で、人生の質が変わる本だ」といったが、
本書はまさしくそんな一冊だ。



■目次
1 幸せとは“究極の通貨”だ(問い中の問い、現在の利益と未来の利益、幸せの正体、究極の通貨、幸せになるための目標設定の仕方)
2 誰もが幸せになれる、仕事、学習、人間関係のあり方(「学ぶ幸せ」を習得する、「働く幸せ」を味わい尽くす方法、第8章 幸せな人間関係を築く秘訣)
3 永遠の至福に向けて(幸せブースター、つかの間の喜びを超えて、光り輝く勇気、自己の利益と思いやり、内なる賢者、ゆっくり生きても充分間に合う、幸せ革命、永遠の幸福へ―これがすべてです)

■4つの幸せのモデル
①快楽型:「現在の利益」と「未来の不利益」が混在すること。(例)ジャンクフード・バーガー
②出世競争型:「現在の不利益」と「未来の利益」が混在すること。(例)ベジタリアンバーガー
③悲観型:「現在の不利益」と「未来の不利益」が混在すること。(例)最悪のバーガー
④至福型:「現在の利益」と「将来の利益」をもたらしてくれること。(例)健康で美味しい理想的なバーガー

本書の中で、上記の幸せのモデルが紹介されている。
これは、退職決断のための「黄金基準」によく似ている。

我々は、当然ながら、上記④の「今も未来も幸せでいられる」選択をすべきだ。
楽しみながら学ぶことは、「現在の利益」を得ると同時に、未来の自分に役立つ「未来の利益」も見込むことができる。
信頼できる仲間と、ともに成長しあえる関係を築くことも、至福型モデルだと言える。

つまり、幸せを「喜びと意義の同時体験」だと定義することができる。

我々は、「自分に備わった能力を最大限に発揮しようと努めながら、挑戦的な活動に従事している」と感じるときに、深い充実感を得るという。

■幸せとは、”究極の通貨”
我々の究極の目的は、幸せの実現であるという。だから、富や名声は、幸せに貢献しうるものだが、本質的な価値を持たない。富や名声は、幸せに換算されて初めて価値を持つという。

しかしながら、我々は、時々、物質的な富が究極の目標の地位に押し上げられていることが起こりうる。ただし、それが悪いことではない。物質的繁栄は、個人だけでなく、社会全体の幸せにも貢献しうるし、経済的安定は、意義と喜びを見いだせない仕事などから、解放してくれる場合がある。
しかし、価値があるのは、お金自体ではなく、それが私たちにもたらせてくれる幸せな体験にある。

■感謝を表明する
「3 永遠の至福に向けて」の章に、「感謝日誌」を毎日つけることで、心理的にも肉体的にも、健康のレベルを大きく上昇させることができうることが記載されている。毎晩、最低5つ感謝すべきことを見つけることで、人生における些細なことでも、感謝の対象として見ることができ、喜べるものになるという。

■幸せの6つの秘訣
①自分に人間として生きる許可を与える
②幸せは、意義と喜びが交差する場所に横たわっている
③幸せは、社会的地位や預金残高などにではなく、心の状態に依存している。
④生活を単純にする
⑤心と体の密接な結びつきを忘れない
⑥可能なかぎり頻繁に感謝を表明する

■感想
学生の時、「人生の目的」に関する講義を受けた事がある。
それは、大学の授業ではなく、大学近くのマンションの一室で、密かに行われた講義だった。
たしか浄土真宗の人たちがやっていたように記憶している。
講義の内容は次のとおりだ。
多くの人は、人生の頂点に目標を定める。例えば、歌手や俳優になりたいとか、医者や弁護士になりたい、のように。
しかし、夢を叶えた後も、人生は続くことを認識しなければならない。
夢を叶えた後、人生の道を踏み外してしまう人が多いことを、何人もの有名人を挙げて説明していた。ドラックに溺れる者、事件やスキャンダルに巻き込まれ、転落人生を送る者。
たとえ人生の頂点に立つことができても、そこに居続けることはできない。
高い頂上に登るほど、急な下り坂を降りなければならないと。
それでは、「人生の目的」はどのように決めればよいのか?

「あと一週間の命だったら、何をするかを考え、そのことに人生を捧げなさい」

この講義に感銘を受け、私自身、この問いを何度も自問し、内なる声に耳を傾けてきた。
そのため、苦難も多かったが、迷いながらも、いろいろな事に挑戦できたように思う。この講義がなかったら、今の自分はなかったと言える。

オウム真理教など新興宗教も記憶に新しかった時代なので、勧誘されはしないか心配したが、そんな素振りは、全くなかった。

本書の中に「もしも私たちが、80歳のときに生まれ、徐々に18歳へと近づけるとしたら、私たちの人生は果てしなく幸せなものになるだろう」という言葉が出てくる。

きっと、その講演は、若い学生が人生に迷わないように生きてほしいという目的で行われたものだったと思う。

本書は、この講義に匹敵するほど、素晴らしい内容だ。
人生の道しるべを示してくれる作品だと思うので、将来に不安を抱えている若い人たちには、ぜひ読んでもらいたい。

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2011年12月28日水曜日

[書評]現代語訳 般若心経 玄侑 宗久 (著)



この数年間、数多くの書籍を読み、多少は学んできたつもりだが、知識が増えることが必ずしも「しあわせ」に繋がらないのではないかと感じ始めている。つまり、知れば知るほど、「これはこういうものだ」「こうじゃなきゃいけない」という概念に囚われてしまう。
般若心経は、こうした捏造された「私」から解放してくれる。
私自身、宗教心が強い人間ではないが、何気なく手に取った本書が、今年、一番影響を与えた書籍かもしれない。

■はじめに
デカルトの「近代的な自我」の提唱にあるように、人は生後成長と共に、自我の確立に向かうもので、社会は自立した個が連携して構成されるものであると、我々は信じこんできた。
しかしながら、本書では、こうした「個」の錯覚が元になった自己中心的な思考が「迷い」や「苦しみ」の根源であると述べている。

ソクラテスは、自己とは身体よりもむしろ霊魂であり、この霊魂をよい状態に保つことが「しあわせ」であると考えた。しかしながら、ソクラテスは、「しあわせ」に至る手法を確立することは出来なかった。

それに対し、世尊(ゴータマ・シッダールタ、後の「ブッタ」)は、理知的な分析の限界を認識し、瞑想という体験的な「知」の様式である「般若」を用いて、「しあわせ」の実感に近づいたという。


■「色、受、想、行、識」という五蘊は、すべて「空」である
五蘊とは、私たちの身心を構成する集まりで、具体的には、色:人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった、受:感受作用、想:表象作用、行:意志作用、識:認識作用 をいう。

我々は、五蘊を、自分自身だと錯覚しやすいが、世尊は、五蘊は皆実体がなく、関係性のなかで仮に現れた現象、すなわち「空」であると述べている。例えば、人間と、犬、蜂や鳩が同じ花瓶を見たとしても、それぞれが持つ感覚器や脳が違う以上、まったく違った見え方をする。

また、「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」、即ち、あらゆる現象は、本当は生まれもしなければ、滅することもない。汚れることもないし、浄らかになることもない、増えるとか減ったということも、錯覚でしかないという。

例えば、水が「減った」ときも、誰かがコップの水を飲んだなら、その人の胃を通り、腸で吸収されただけ。また、蒸発して「減った」のなら、水蒸気に形を変えたにすぎない。地球規模で見れば、何も減っていない。

以上のように、仏教においては、あらゆる現象は単独で自立した主体をもたず、無限の関係性のなかで絶えず変化しながら発生する出来事であり、かつ秩序から無秩序に向かう(壊れる)方向へ変化しつつあるという見方をするのである。

■共時性

共時性、シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは、事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された概念である。共時性(きょうじせい)とも言う。

何か二つの事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような二つの事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做す。


ちょっと難しいですが、「空」を実感するとき、「同時」なる関係性が感じられるだけでなく、「異時」さえ同じ地平に包み込まれてしまう。
つまり、誰でもあらゆる命が繋がっていると感じられたり、これまでの全ての時間が「今」に活きているというような、そんな実感をもったとき、人は人生全体に充実感をもったりするものである。

■名前が助ける知、曇らせる知
人は「名づけ」によってものごとを確定的に受けとめてしまう。
例えば、「花」という言葉は、そう呼ばれた途端に、「花」以外のものとの関係性が絶たれてしまう。また「花」は散りうるものなのに、言葉で示されると不変に存在しうるもののように感じられる。

また、お腹が「しくしく」痛むのは、単なる感覚だが、これが「病」というレッテルを貼られると、本来備わっている自然治癒力が著しく低下し、症状が悪化してしまう。

このように、あらゆるものに名前がつけられ、概念化し、思考が生まれる。名づけられた「モノたち」はやがて互いに対立する存在になりうる。こうして「全体性」が分断され、「空」から遠ざかってしまう。

言葉というものが、どのような状況で誰に向けられたものであるかを抜きに一般化されて伝えられるべきではないのである。


言語学では、言葉の発生について、以下の2種類の分析がある
1.コミュニケーションのために生まれた
2.すでに生まれてしまった概念整理のために生まれた


例えば、「過去、現在、未来」「右、左」といった複雑な概念も、言葉によってスムーズにコミュニケーションできる場合もある。
しかし、例えば、犬同士のコミュニケーションのように、言葉を必要としない場合も多いし、逆に、言葉によって誤解が生じる場合も多い。

■波動が、「いのち」に直接働きかける
仏教では、「般若波羅蜜多」「なんまいだぶつ」「なんみょうほうれんげきょう」などの意味を超えた音の響き、呪文が、大脳皮質を飛び越えて直接「いのち」に働きかける。こうした呪文を唱えつづけることで、空性なる「いのち」の真ん中にどーんと座っている自分を発見し、全体性の中にとけ込んでいくのを感じることができる。

■感想
私自身、大学に入った頃までに、メディアや両親、周囲の人たちによって価値観が作られ、「こうしなきゃいけない」「こうあるべきだ」という様々な固定観念に縛られ、捏造された「自分」によって、勝手に苦しみを感じていたように思う。
修行のつもりで、日本を飛び出し、東南アジア、南アジア、中東などの発展途上国を旅するうちに、こうした偏狭的な価値観を変えることができた。物質的な豊かさよりも精神的な豊かさの方が大事だと思うようになった。
本書は、自分が体験を通じて感じていたこと、つまり「すべては空」「共時性」などを、量子論などを用いてわかりやすく説明しており、大変興味深かった。
「人はどうしたら苦しみから自由になれるのか」
本書は、そんな誰もがいだく迷いや苦しみを取り除いてくれる良著である。

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